昭和二十年八月七日、長崎医大放射線科の医師、永井隆は日増しに激しさを増す空襲に、十歳の息子?誠一と五歳の娘?茅乃を、妻?緑の母?ツモの居る木場に疎開させた。その夜、緑は診察のため長い放射線をあび、自ら命を縮めようとしている隆に休息するよう懇願するが、彼は患者が増えているからと聞き入れない。八月九日、午前十一時二分。川で泳いでいた誠一は、浦上の方で空がピカッと光るのを見た。そして突風が津波のように押しよせてきた。街の方で何かあったのかもしれないと様子を見に出かけたツモは、日が暮れてから漸く緑の骨を缶に拾って戻って来た。次の日、ツモが誠一を連れて焼跡を訪れると小さな十字架が立てられていた。ツモは隆...